久しぶりに
音楽の話。じゃあいつもは何の話してるかっていうと
文学や形而上学のお話です。
先日早春さんに雅楽っぽい曲を提供させていただきましたが、その流れでもって今、雅楽の本を読んでいます。
ところでAEKAは尺八という日本の楽器と
ギターという西洋の
楽器を使っていて、基本的には
洋楽よりのモノをやってますが、個人的には
邦楽的要素を洋楽に採り入れるのはとても難しいという気がしてます。
有名な作曲家も含め、多くの人がチャレンジしてその中のいくつかは成功といえる作品もあると思うけど大概は薄っぺらなものになってしまうことが多いと思います。
特に47抜き音階とかを使ってるやつはあまり好きじゃないのが多い。そもそも長調の47抜きは日本の音階ではないし(ただ始める音を換えれば日本の民謡などの音階と同じだし、
その他もろもろの理由で明治期以降この音階で多くの曲が日本で作られたり親和性はあるのかもしれない)、短調の方はいかにも臭くてそれなら近世邦楽の方がずっと微妙でよかったりする。
なのでAEKAでは日本歌曲や唱歌といわれるものを採りあげることはあるけど(とくによくやる『この道』なんかは音階とは違うところでとても日本的な要素があると思う)、それ以外あまり積極的に日本的なモノを追求はしてこなかった。
とはいえ、
四万十なんかは実はそういう点である程度成功してるんじゃないかと思ってる。この曲はしかし、特に日本の音階を使ってるわけでもないしそれ以外の点でもなにかしらそういう要素を入れているわけではない。まあ実はちょっと意識してる点はあるんだけどまあ措いておきます。
早春さんに書いた曲では声と尺八ということで、ギターや
ピアノのコード楽器がないせいで、ある意味日本的なものを作れる余地が大きいなとは思っていて今回は雅楽を意識して作ってみました。
雅楽では主旋律を篳篥が担当し、横笛(竜笛)がそれを補強したり、飾ったりする役目を担当する。では単なる2声の曲なのかっていうと、まあ必ずしもそういえないところもあるようで、この辺はまだ理解の浅い俺には説明が難しい。まあとにかくその役割分担はそれぞれの楽器の特性から来ているようだけど、同じ旋律でも両者によって扱い方が違って結果的にポリフォニー的なところも出て来るってことかなと今のところ理解している。つまりある
メロディがあってそれに対して対旋律があってという形のポリフォニーとは自ずから違うと。この辺は知識なく聞いてるだけでも感じる事は出来ると思う。実際何も知らない段階で気づいたその点を意識して早春さんへの曲は書きました。
この篳篥と横笛の旋律の絡みとか、それぞれの音の修飾の仕方が面白くてそれだけ聞いててもなかなか雅楽は面白いですよ。
他にも雅楽で拍節感を出すのは打楽器の役割ではなく箏と琵琶であるとか、打楽器はもっと
大きな周期のリズムを司るとか、笙の和音やそのもやっとした変化のさせ方など、まだまだ面白いところはあるけど、今のとこと先に述べたとこが僕の中では何か採り入れられる要素だなと思ってます。